時折、遠いどこかで起こった大事件が報じられて、その後新しい手配書が配布される。賞金額は小国の国家予算ほどにもなって、この額ではもう世界政府も払いたくないだろうと、その度に苦笑している。
 七部海への打診は当然あったはずだけれど、手配が解かれることはない。
 彼ららしいと思う反面、みかん色の航海士は、安全が何より優先よーうと泣いただろうなと、気の毒になった。その彼女も、美しく自信に満ちた笑顔でしっかり手配されている。ポーズまで取っているのは、海軍の写真撮影班が彼らに捕まったことを意味している…?良く見れば化粧は完璧、服はカジュアルだけどブランドものだ。

(てめェ、見合い写真かなんかと勘違いしてねェか?)
(賞金首じゃ、花束くれるのは賞金稼ぎくらいね♪)

 想像の会話に思わず吹き出して、かねてより御希望だった「ALIVE ONLY」の手配書を大切にしまい直した。彼女の頭脳と、その中にある世界の海の知識、それに膨大になっただろう彼女の地図。それらを政府は、むしろ船長の首よりも欲しているはずだ。
 私はと言うと、あの後かなり海軍からの追求を受けたが、全て知らぬ存ぜぬで押し通した。
---私が仮に海賊の仲間で、その海賊たちに助けられて国を救ったということになっても、不都合はないのですか?その方が都合がよろしいのでしたら、私は嘘をつくこともやぶさかではありませんが。
 儀礼上の微笑みを交わして、痛み分けになった。お互いに沈黙を守りましょうと。
 それから私は、奇妙な1人の友人を得た。

 国には暦通りに雨が降るようになり、アラバスタは目覚ましい復興を遂げた。サンドラ河の上流から引いた地下水路が乾いた時期でも砂を潤し、乾きに強い木が作る日陰で繁茂した植物は、徐々に勢力を伸ばして大地を柔らかくけぶらせている。
 街の色彩は緑を加えてますます鮮やかになり、驚いたことに眼病の患者が激減した。砂埃がおさまったことと、強い照り返しが和らいだことがその理由だろうと説明されて、思ってもいなかったことだと皆で喜んだものだ。

 ひとつひとつの喜びを、伝えることが出来たらどんなに素敵だろう。
 視察に出向く街や農村で、小さな子供が手折ってくれる花がどれほど綺麗か、差し出される果物がどれほど瑞々しいか、伝える事が出来たらきっと、我が事のように喜んでくれるでしょうに。

(良かったなビビ!)
(おれにも食わせろ! 一人占めなんてずるいぞビビ!)
(スゲェな! なぁビビ楽しいな!)

 思い出すのは腕や息や感触ではなく、何気なく私に向けられた笑顔と言葉の断片ばかり。
 それはいつまでも変わらない鮮やかさではあるものの、不意に甦って胸を締め付ける事はだんだんと少なくなっていった。
 こうして忘れていくのだとは思わない。現に、いつ彼らに再会しても恥ずかしくない私でいようという思いは、あれから以降の私の全てに影響している。


 かつん、と窓が鳴った。
 室内の照明は私の小さな書き物机の上のランプだけで、薄いカーテンのかかった窓の外は、街から届く明りにぼんやりと照らされている。
 バルコニーの手すりに器用にしゃがみ込んでいる人のシルエットが薄く映って、頭に乗っている麦わら帽子の形がはっきりと見て取れた。
 私は立ち上がり、カーテンを引いてガラス窓を押し開けながら笑った。
「もう、ボンちゃんったらそういう悪趣味な事はやめてって言ってるのに!」
 いつも御丁寧に服装まで変えて、新しい手配書が出回った日には必ず、友人は訪れる。
 普段は一体誰に化けてどんな暮らしをしているのか、私に明かしてくれた事はないけれども、揶揄いと励ましをくれる友人は、いつの間にか私にとってとても大切な人になっていた。
 乾期が近付いて、夜には冷えるようになった風が、バルコニーをさらりと流れていく。
「ようビビ、久し振り!」
「ホント、しばらくぶりよね。早く中に入って、誰にも見られてない?」
「うーん、多分。月が細いし」
 おや?と思った。いつもならばそれはそれは騒々しく、こっそり訪ねて来る意味がないほどに大声で笑って「アチシを誰だと思ってンのよ〜〜〜う!」とくるはずなのに。
「どうしたのボンちゃん? 元気がないみたい。静かでいいけど」
「ボンちゃんてボンちゃんか? あいつ元気か? あ、お前は元気かビビ」
「‥‥‥‥?」
「あんまびっくりしてねェな。つまんねぇー」
 部屋の明りをつけて、私は言葉を失った。
 記憶よりも低い、錆含みの声。高くなった肩の位置。子供のような笑顔だけはそのままで。


 心臓が、止まるかと思った。
 どんなに似ていても間違えるはずのない、はずのない、はずなのに。


「ビビ? おーい大丈夫か?」
 ぴらぴらと目の前で手が振られるけれども、私の目の焦点は彼の瞳に吸い寄せられたままだ。変わらない、黒い、
「背が、伸びた…?」
 黒い瞳が、笑い出しそうな形になって私の目を覗き込んだ。とん、と額をぶつけて、そうだこうして私を揶揄いながら本気を探るのが好きだった。
「お前は相変わらず綺麗だなぁー」
 本物だ‥‥‥
「ルフィさん・・・・」
 言葉が続かない。
 身体も動かない。
「ルフィさんっ・・・・」
 私は呼吸をしようとして吸い込むばかりで、肺をいっぱいにしてしまわなければ、意味のある事は何も言えない。
 ぼやけた視界がほろりとクリアになって、覚えている暖かい手が、首と顔の境界を覆った。剃り残した無精髭が見える口元が目の前にきて、額の広さを揶揄われる時に必ず指で突つかれた場所に、そっと落ちる。
 デコが広いなと指が近付く時はいつも、私が考え込んで眉間に皺をよせてる時だった。
「会いたかったぁっ‥‥!」
 力一杯抱き締められた背中に腕を回して、右肩に感じる息と止まらない言葉を聞きながら、彼のざらりとしたマントを何度も掴み直して引き絞った。息がなくなるまで繰り返し繰り返し、なくなればまた吸って何度でも。
 会いたかった会いたかった会いたかった。

 おれも おれもスゲェ会いたかった
 天気のいい日に空見るとたまんなくなった
 お前がいればいいのにって何度も思った
 お前に見せてェとこがたくさんあるし会わせてェやつもいっぱいいるし
 ヤベェのが終わるたびに今すぐお前の顔が見てェって



「グッイィ〜〜〜ヴニーン姫ちゃーーんっ! アチシよアチシ、あんたのダチよーーう!! おジャマするわよーーう?! 窓も閉めないで不用心ねいっ!」
「うを?! なんだ誰だ! あっビビどうしたんだしっかりしろ!」
 くたくたと脱力した私の身体を片手で抱えて、彼は不粋な闖入者に拳を向けた。
 そこにいるのは6年前の彼なのだけど。
「あッラーーーァ!! 麦わらちゃんじゃなーいのーーーーう!! おシさしぶりねいっ! 元気?元気?! アチシは元気よう! ガーーッハッハッハッハ!!」
「おおボンちゃんか! なんだおれじゃねェかアッハッハッハ!!」
 引き摺られるように片腕に抱かれて、旧交を温める握手を交わす彼と彼の間から、私は彼の胸にすがって彼を睨んだ。
「ボンちゃん‥‥‥」
「なにようっ何恨めしそうな顔してんのよう! 姫ちゃんったらキャワユイ顔が大ナッスィン‥‥‥あ、アレ? 麦わらちゃんよねィ? ドゥーして麦わらちゃんが‥‥‥??」
「ボンちゃ〜〜〜ん…」
「あ、あ、アチシったらもしかしてとってもおジャマムシ…なのかしらねぃ…」
 友人はだらだらと汗を流して、私と彼を交互に見た。そうよまだキスもしていない。
 でもその狼狽える姿が大好きな彼のもので、怒りを持続させる事が難しいのは、もう良く分かっていることだ。その上、私を抱える彼が、笑って私を抱き直した。
「ンなことねェよ。助かった、ボンちゃん。止まんなくなるとこだった」
「ンま! なァによジョーダンじゃなーいわよーう!! 長いこと離れてた恋人が! 今再び巡り会って! 情熱爆発させなくてドゥーすんのよう! 止まることないわようガバッとやっちまいなガバッと! アチシは退散するから遠慮しなくていいわようガッハッハ!!」
 友人は本来の姿に戻って、ジーンズのハーフパンツからスネ毛の足をむき出しに、指で作った丸の中に指を刺すという下品なジェスチャーをして大笑いした。直後私に張り倒されたが。
 彼は苦笑してぼりぼりと頭を掻いた。
「いや、時間ねェんだ。夜明け前に船に戻らねェとナミに殺される」
「夜明け前?!」
「もう何時間もないわよう?」
「だから顏見るだけのつもりだったんだ」
 そんな。ああでも、少し考えれば分かることだった。
「…ゆっくりできるなら、皆で来てくれるものね?」
「うん、あいつらも会いたがってたんだけど、追われてるからな、今。船離れられねェんだ」
 仕方がない。彼らは高額手配の海賊で、彼はその船長だ。
 きっと、近くの海域まで来たからと船長がゴネて、仲間たちはどうにかして時間をくれたのだろうから、仕方がない。仕方がない…のに、私はよほどがっかりした顔をしていたらしい。
「アラだったら、姫ちゃんが船に行っちまいなさいよう! しばらくだったらアチシが身代わりしたげるわよう?」
 焦った友人が、長い手足をばたばたさせて提案してくれたが、それには私も彼も首を横に振った。
「駄目なんだ、すぐに別ンとこに移動するから。航路が違うから帰って来れなくなる」
 そう、少しの間でも一緒に過ごせる状況ならば、彼は有無を言わさず私を抱え上げて、懐かしい皆のところへ連れて行くはずだ。
 それから彼は私と向き合って、真面目な顔になった。
「お前が今度は一緒に来るってなら、どうやってでも連れ出すけど」
 ンなによう…友情と愛情より大事なものなんかありゃしないのよう…と友人はぶつくさ言っていたが、ガラス窓の向こうに出て行ってくれた。
「そんなつもりねェんだろ?」
「ええ」
 この国は、まだ私の理想には遠い。骨を埋める時までに、そこに辿り着けるかどうかも分からない。私の選んだ道はとても険しく長く、進んだと思ったら後退する。けれど私はとても幸福で。
「…夕方からあのでっかい河を溯って来たんだ。だんだん暗くなってくのに、遠くの方に明りがあっちこっちに見えた。それで、ビビは頑張ってんなって思ったんだ。前来た時は真っ暗だったもんな」
「うん、ありがとう」
 たくさん話したいことはあるのに、あまりにも時間がない。
 泣きそうな顔を見せている場合ではないのに、どうしても顔が歪む。
 またしばらく会えなくなるのだから、笑った顔を覚えておいて欲しいのに。
「ありがとうルフィさん、来てくれて、本当に。すごくすごく会いたかったの」
「うん」
 そっと引き寄せられて、私はすっぽりと彼の中に包み込まれた。彼は私の髪に頬ずりして、何度かキスしているようだった。
 暖かく、子供の体温みたいだと、ずっと前にも同じことを思ったような気がする。その時も今も、彼の身体はどんどん熱くなっていって、私も、じっとしているのが辛いくらいに熱い。

(バカだな、子供じゃないからこんなに熱いんだろ)

「あーーやっぱ匂いかいだらたまんねぇ!!」
 柔らけェし熱いしお前!
 彼はいきなり私の身体を撫で回して、髪の中で鼻をくんくん鳴らした。
 このまま静かに体温だけを残してお別れするのだと思っていた私は、突然の攻撃に驚いて、妙な声を上げて身を捩った。腰を後ろから掴まれて、彼の腰が押し付けられる。
 彼のズボンと私の夜着越しでも、その熱さが分かった。
 円を描くように擦り合わされて、掴まるもののない私の身体が前に倒れそうになると、彼の腕がしっかりと私を捕まえる。背中にぴったりと彼の胸と腹が当たって、腰だけは器用に回転が続いた。
「あっ…や‥ん‥‥ルフィさん……」
「笑ってろよ、ビビ」
 前に回った手は胸を掴んで下腹部を探っていた。
 もう支えられていない腰を、私は自分で突き出す。
「そのうちまた来る。そん時お前が、不幸そうな顔して、笑ってなかったら」
 流れた髪の間から、首筋を舐め上げられて鳥肌がたった。
「おれは絶対ェ許さねぇからな」
 腰の動きが止まって、私は呼吸を整えるために息をついだ。
 まだ熱いものを求めて身体が動くのを、必死に押しとどめる。
「そん時はお前が泣いたって引きずり出して連れてくからな」

 彼は知っているんだ…

「うん」
 大丈夫です、ありがとう。
 幸せになるから。

 ゆっくりと、熱は引いていく。
 それが少し寂しかったけれど。



「ガキでも仕込んでいくかなぁ」
 唇を尖らせた子供っぽい仕種が、私と彼と、双方にとって救いになった。
 ようやく心からの笑いを向けて、拳で殴るフリをした私に、彼はにししと笑った。
「もう行かねェと」
「遅れてしまったんじゃない? カル−を連れて行って」
「ラクダがいるんだ、ちゃんと男も乗せるヤツが」
 声を出して笑い合って、今度もさよならは言わないで。
 外にいた友人と何か言葉を交わして、彼は無造作に手すりを越えて行った。

「まったくジョーダンじゃないわよう…」
 仏頂面の友人の横に立って、冷たい空気に腕を抱え込んだ。
「何を話していたの?」
「…顔を触らせろって言ったら絶ェッ対に駄目だって言うのよう! あげくにアンタ、なんて言ったと思う?! アンタに手ェ出したら100回コロスって、アチシをなんだと思ってンのよーう!! アチシはオカマよ! オカマウェイはまっすぐよ!! ジョーーダンじゃなーいわよーーう!!!」
 彼が去って行った方角に向けて吠える友人の、高いところにある肩を叩いて笑い転げた。
「ふんとにもォゥ…」
 くつくつとお腹を押さえる私を横目で見下ろして、人情篤い友人は少し鼻声になった。
「友情は永遠だからねい!」
「そうよね!」
「パンツは履き替えておきなさいよーう?」
 思いっきり突き飛ばしてバルコニーから落とした。


 浅い眠りからふと目を覚まして、窓の外の色を自分に浸透させた。
 航海の無事を祈っています。


「ぜんまい稼動」のみつる様のSS。
アンケートに答えていただいてきましたvv
遠距離ルビビ。「会いたかった」という言葉が、真摯で切ないです。
そしてボンちゃんが……(笑)
どうしてこの人はこう愛すべきテンションなのだろうvv盆暮れラブ。
笑えなければ許せません。
船長の言葉が彼女の一部を支える力になるのですね。
ありがとうございましたみつるさん!



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